本辞典作成の主旨
今から十年前、私は上海外国語学院の留学生でした。卒業も間近にひかえた一月三日、中国の友人家族が私の誕生日を祝ってくれました。強い老酒ですっかり酔った私は、友人が送っていくという言葉も振り切って、「大丈夫、大丈夫」と自転車に乗って宿舎へと急ぎました。しかし、一瞬自転車がよろけ、そのまま道路工事中の深い溝に落ち込み、しばらく気を失っていました。ふと気がつくと、私の顔面は額から上唇までぐさりと割れ血だらけになっていました。歩く気力もありませんでした。そこに偶然バスが通りかかりました。バスは止まり、運転手と乗客の二人が私のそばに駆け寄り、抱き抱えながら近くにあった人民解放軍の病院に運んでくれました。応急処置を受けながら、私はその運転手に「お礼をしたいし、名前を教えて欲しい」と言いました。するとその運転手は、「名前?中国人なら誰でもそうする」と笑いながら、名前も言わずに去っていきました。その日を思い出しますと、今も目に涙がにじんできます。
わたしは自分に何ができるのかと、その日以来考えてきました。帰国後日本語教師になったのもそれが理由です。一日本語教師でしかない私にできることと言えば、十年間の教師生活を通して多少とも身につけた日本語教育の経験と知識を形にし、中国の日本語学習者にお届けすることしかありませんでした。しかし、一人ではとてもできない膨大な作業で、何よりも中国語翻訳はとても私にはできないことでした。そんなとき、NIFTY中国論壇フォーラムの16番会議室の仲間や教え子たちが協力に駆けつけてくださいました。この「会話で学ぶ中国人のための日本語表現文型辞典」(中級〜上級編)は、日本と在日中国の友人達とが協力して作り上げた共同作品です。またこの辞典が完成するまでには、NIFTY中国論壇フォーラム及びNIFTY日本語フォーラムの日本語教師のみなさん、また出版元桐原ユニ株式会社の有形無形の励ましがありました。この場を借りて心からお礼申し上げます。
思いますに、中国を始めアジアの人々に、深い傷跡を残して終わった侵略戦争から五十余年、まもなく二一世紀の扉をたたこうとしている今日にあってもまだ、日本の政治家や学者達のなかから、みなさんの心を逆撫でするような発言が相次いでいます。しかし、声なき多くの日本人は二度とあのような事態を繰り返してはいけないと心に誓っています。また、繰り返させてはなりません。過去に目を閉ざすもの者には、未来も見えないことでしょう。共に生きるアジア、その未来の追求の中にしか解決の道はありません。
その際大切なことは、コミュニケーションであろうと思います。そしてそれを仲立ちするのは言葉であろうと思います。この辞典が変わらぬ中日友好の架け橋にならんことを祈りつつ、そして、私を助けてくれた運転手や多くの中国友人の手に届くことを祈りつつ、前書きとさせていただきます。
総監:目黒真実
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